2008年10月17日 (金)

ひさかたぶりに図書館へ

図書館へ行くのにも、複数の理由が必要。つまり、(1)本を読みたいから、だけでは不十分。

今回の場合は(2)時間に余裕があった(3)しかし下腹部に余裕がなかった、というのが理由。

すっきりした後、森博嗣のコーナーへ。目当てはXシリーズ。

なななんと望外にも、「キラレ×キラレ」だけでなく「タカイ×タカイ」まで借りることができた。ラッキィ。世の中甘いね。

ついでに他の棚も散策。「象のマジック解明」というタイトルに目が留まる。

100人くらいで、かもめかもめ。その中心には象。小型戦闘機だったときもある。

100人全員が目隠し。約1分後、象(もしくは小型戦闘機)が、忽然と消失している、というマジックである。

(1)垂直離陸が可能なタイプの小型戦闘機だった(2)奈落のように地面に仕掛けがある(3)5人くらいは主催者側の人間で、象(もしくは小型戦闘機)の通る道を作った。

当時もこれくらいの仮説は立てたよーな気はする。種明かしがされると、大概は「なぁーんだ」とがっくりきてしまう(なら最初から聞くな)のだが、今回はどーだろーか。

(4)電車の中での暇つぶし。これが最大目的だな。明後日は電車に乗れそうもない。

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2007年7月 4日 (水)

世に万葉の花が咲くなり

BJを読んでいる。よろしくじゃないほうな。

ピノコってあーいうふうにして生まれたんだな。火の鳥・リボンの騎士・アドルフに告ぐなど、様々な彼の作品を鑑賞してきたが、導き出される結論はいつも同じ、彼には天賦の才能が与えられた、ということだ。

天才の一言で片付けるのは簡単だ。だが、天才の一言でしか表したくない人物がいるのも現実だ。医学の専門家でない故、医学に疎い読者の立場からの視点を意識した作品になる。もちろん専門家にとっても遜色ない漫画に仕上がっているのは確かだ。BJ自体は往年の作品で、これが売れないと打ち切りという瀬戸際に追い込まれて産出されたものらしいが、そういった裏事情を感じさせない優れた読み物だ。

図書館ばかり行っていて、本屋に行くのを忘れていた。スクラン17巻ゲット。今月の刊行物をチェック。REXの新刊でシンシアとろりぽ、それに迷宮街輪舞曲が出る。ゴルゴ13の145巻が目を引く。こち亀も今何巻だっけ。作者が亡くなるまで続くのだろーか。いや、作者が亡くなっても続きそうだな。

漫画は何度でも読むから(短時間で読めるから)購入、活字本は1回読んだらお腹いっぱいのものが多いから貸借、という感覚か。(返却)期限が決められていないと活字本を読むきっかけがない、という点でも図書館の存在はありがたい。

最後に女性リーダー使ったのいつだっけなー、と調べてみたら去年の今頃にちーちゃんを使ってた。総帥やらアロウンやら変なのも使ってる。ガディムで彼との対戦時にビクつくのも嫌だし、理奈や宗一の同系同士でドロドロした投手戦を繰り広げるのもお腹が痛い。総帥は使いこなせない。単純にいこうぜ、シンプル伊豆ベスト。

551の蓬莱の551ってどんな意味があるんだろうと思って調べてみた。・・・調べるんじゃなかった。

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2007年5月22日 (火)

最近の読書傾向

最近は図書館で、できるだけジャンルを問わず本を借りるようにしている。以前は将棋関係か推理小説ばかりだったのだが。

今回借りたのは「すべてがFになる」「ギャンブルのトリック」「カジノ読本」「ギャンブルのからくり」「おいしいすしの握りかた」。

美味しいものは、写真を見ているだけで幸せになれる。作りもしないのに「燻製作り入門」なる本も購入している。「ラーメン食べ歩き」なんかもそうだ。エロ本にせよ何にせよ、この類の本は絶対にカラーでなければならぬ。臨場感・脳に伝わるメッセージが100倍違う。

ナランチャも言ってるじゃないか。「はあああああああ~ため息でるなあああ、こういう庭。ほっとするうう・・・うう・・・美しい・・・こーゆー庭で日なたぼっこしながら子供時代のこと思い出してノスタルジイにひたりたいなあ~」(「ジョジョの奇妙な冒険」52巻より抜粋)

Dの本棚を見渡すと、こんな傾向が見られる。(1)推理小説や漫画など、フィクション娯楽系(2)将棋や麻雀、その他ギャンブル一般を扱った戦術・確率論(3)食材・女体など視覚に訴えるグラビア雑誌。

一般教養系も読めよ。面白くないけど。

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2007年5月21日 (月)

すべてがGOMAになる

「お母さん、いる?」「いりません、ガチャ」

うっかりそんなオチかと思っちまったよ。封印再度。

100ページを残したところで犬が吠えた理由までが明かされ、そこで一旦、読むのを中断したので、森博嗣という作家を過小評価してしまった。プロバビリティに賭けた、なんちゅう論理性に欠ける作家だと。

凶器の隠し方・壺の開け方・密室の作り方など、あとがきの作品批評に書いてあるとおり、確かに理系の知識がないと思いつくことのできないトリックが多い。読後の感想は「推理小説である必然性はあるのか」だった。

過去最高のTVゲームを挙げよ、と言われたら、迷わず「かまいたちの夜」を推挙する。言及するまでもなくサウンドノベルの最高峰。「かまいたちの夜」にハマって「夜光虫」「弟切草」「魔女たちの眠り」「学校であった怖い話」「街」、果ては「サウンドノベルツクール」にも手を出してしまったが、「かまいたちの夜」に追随できるサウンドノベルはなかった。頂上に「かまいたちの夜」、七合目あたりに「街」、他は評価できず。

昨夏も「かまいたちの夜×3」をやりたいがために、後輩からPS2ごと借りて、半徹でプレイしたものだ。かまいたちの夜1・2を犯人・トリックを1発で見破ったのはDの隠れ自慢ポイント。3はなんとなく選択肢に乗っかっていったら正規ルートに入った、みたいな。選択肢で犯人・トリックが分かったところがある。ちょっとくやしい。

3でそろそろ大団円、というところであるキャラが出てきたのは、本当にびっくりした。ミステリーとホラー、現実と非現実が見事にミクスチュアされた最高傑作だと思う。

「かまいたちの夜」のプレイ後は、長いRPGをクリアした後の達成感ではなく、合唱コンクールに出場し終えた後のような、責務からの逃脱感の方が強かったように思う。擬似ではあるが死への恐怖、生きるために真相を解明しなければならなかったことからの解放感は、水中で呼吸をずっと我慢していたあとの最初の一呼吸に近いものがある。

その「かまいたちの夜」だ。原作者は我孫子武丸。彼の著作も読んでみたい、と思うのが心理だろう。結果は・・・期待はずれだった。推理小説と呼ぶよりは娯楽小説に近い。もしくは推理トリック集。そこそこ楽しめるのだが、心を捉えて放さない、エレメンタリィな部分がなかった。

我孫子武丸の「かまいたちの夜」は、ゲームという媒体を通じて光り輝いた。森博嗣の「封印再度」は、10部作の5番目だと言う。10作品を読破しないと正規の感想文は書けないだろう。何年、何十年かかるか分からないがな。SとMの掛け合いは楽しいのだが、話の本筋にどうしても必要か、と問われれば、Dの意見ではNOだ。岡嶋二人の「なんでもや大蔵」や「山本山コンビ」のような必然性がない。金田一少年の活躍に違和感を感じるのも、主人公が高校生だからだ。後付けを見るかぎり、10部作の舞台はサイバーなコンピュータ・低温実験室・地下室・キャンパス内の密室など多岐に渡るようだ。1作品だけで彼の評価を下すことは、愚かしいことなのだろう。暇があったらチャレンジしてみるリストに追加。

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